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会社案内

社長挨拶

代表取締役 大森淑美

 挨拶 はじめまして。

 弊社コーポレートサイトにアクセスしていただいたこと心より御礼申し上げます。

 私は幼い頃から自営で忙しく働く母親の背中を見て育ちました。私たち子どもが発熱やケガをする度、母は仕事を休まなけらばならず、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいの子ども時代を送りました。また大変そうな母の姿を見ては、手伝ったり応援できることはないだろうかとずっと思って過ごしてきました。

 現在、少子高齢社会のため、生産労働人口は80~90年代に比べ半減していくと予想されています。

 その現状を考えた時、この先進国といわれる日本の経済と豊かな生活水準を維持するために、女性も多数が労働力として働きに出る社会に変わってきています。多数の勤勉に働き日本を豊かな国へ発展させてこられたご高齢者の方々を支えるために、また未来を担う子どもたちのためにも、私たちは働かなければなりません。(もちろん働くことが全てではなく働かない選択肢もあります)

 そんな時、女性や子どもたちが本当に幸せなままいられるの?という疑問が当然出てくるかと思います。丁度、私たち70、80年代始めに生まれた世代が就職する時は就職氷河期と言われ、エントリーシートも100社200社書くのが当たり前の時でした。しかしそんな努力をしても正規雇用は良くて2/3程度、後はフリーターや非正規の派遣社員という不安定な雇用形態で長期のキャリア形成や研修プログラムなどもなく即戦力として扱われ、離職率も非常に高かった時代でした。

 それに加え、女性はもっと正規での就職率が低く、就職できたとしても総合職や男性と同じ勤務・待遇・給与体系で長期のキャリア形成が出来る職場に巡り合うことは本当に一部だと言っても良い状況だったと思います。

 ビジネスの面だけでなく私的な領域の恋愛、結婚も、同年代ではパートナーになる相手も非正規雇用が多かったり、リーマンショックや大きな震災など幾度となく社会にインパクトを与える出来事が起こり、明るい未来を描き人生設計をすることもままならない現状がありました。そのため付き合っても結婚までなかなかたどり着けない友人も多くいました。

 そして結婚したとしても、一世代前の年功序列賃金制度があり、若いうちは共働きでないと家計を維持できず、共働きの家庭が増えました。妻も働きに出るものの、夫の家事育児へのコミットは先進国の中でとても低い。

 専業主婦が多い家庭で育った世代なのでロールモデルがおらず、苦しむ。また専業主婦であった上の世代の同じ女性たちからは共感が得られない。そんな最悪な状態でも、何とか私たちは手探りで未来を切り開いて、生きてきました。

 ひと昔前なら、結婚や出産もできていただろう女友達のなかには、すっかりおひとり様の老後プランを考え、明るく趣味に生きている子たちもいますが、厚生年金組合だけでなく銀行や証券会社の破綻や消えた年金問題や社会保障費の削減など民・公的な支援や準備の双方がどうなっていくかわからない状況です。

 私も普通のひとりの女性で、個人で何か大きなことが出来るかといえば難しかったです。そして出来る限りの努力をして、困っている仲間のために努力していきたいと思って会社を立ち上げることになりました。

まだまだベンチャーで手探りの経営ですが、世の中を良くしたい!

子ども達のために豊かな日本をのこしたい!

そういう想いで頑張っています。どうぞよろしくお願いいたします。 

どういう人間か

 愛知県名古屋市生まれ。横浜市在住。幼少期、平成バブル絶頂期で両親が忙しく働く中、その背中を見て育つ。特に母親は3人の子どもを育てながら美容院を経営。仕事と家事、育児やPTA活動や地域の仕事を一手に引き受けており、幼いながら多忙な母の助けになりたいと強い想いを抱く。それが現在の事業の原点となる。

 学生時代は部活や生徒会活動に励む一方、高校の頃から様々なアルバイトを積極的に経験。郵便局の仕分け業務や飲食チェーン、重工業のライン作業や清掃員、日雇い派遣やマネキン、ホテルフロント、家電量販店での携帯電話販売など。特に印象的だったのは社会福祉士を目指し学んでいた大学時代の児童養護施設での有償ボランティア経験。

 その経験が非常に大きく、可愛い子どもたちに何か自分ができることはないのかと使命感に燃え、一度は福祉職に進もうかと就職に悩む。

 しかし、ここで福祉や保育の現場の大変さを痛感するとともに、支援に携わる側、保育者も自分をまずは大切にしてもらえるようにできないか、と今に繋がる軸を発見する。変えられない現実、職員の勤務体制や待遇が自分のライフプランと合致しなかったこともあり、葛藤の上、民間でまずは学ぼうと一般企業を選び就職する。

 大学卒業後は会社員となり、その後、結婚退職し専業で子育てに専念する、ふつうの主婦となる。

 自身も子育てで地元から離れた“アウェイ育児”を体験し、わんぱくな男児の子育てに悩む。その中で、いつか自己実現と社会貢献のために起業しようと漠然と考えていたことが結びつき、自分の本当にやりたかったこと(母子支援)が明確になる。幸せな母子から、人間すべてが幸せな社会が作られると確信する。

 よって大学時代から参加していた女性創業塾などでの勉強や、専業中は子育て関連講座や地域の課題解決のための講座で勉強したこと、これまでの自分のキャリアの棚卸をする中で、様々な方に助けてもらったことが生きる力となったことから、お礼の意味もあり子育て中の女性と子どもにまず役立ちたい(自助・共助でもある)という理念が強固なものになったため、具体的な事業計画を考え起業に至った。

 自身も当事者だから助けてもらって当然とは思わず、汗をかき涙をぬぐい血を流しながら一歩一歩地についた地道な努力を自ら先陣を切って行う。

目指すは自己改革からのちいさな街の社会革命。